宇宙撫子(コスモビューティ)がみてる

「待ちなさい」
 とある月曜日。
 銀杏並木の先にある二股の分かれ道で、神崎あかりは背後から呼び止められた。
 声を聞いただけで鍛え抜かれたのがよく判る、凛とした、よく通る声だった。
 声を掛けられたらまず立ち止まり、そうして「はい」と返事をしながら、身体全体で振り返る。不意のことでも、あわてた様子を見せてはいけない。ましてや顔だけで「振り向く」なんて行為、運動選手としては失格。
 あくまで力強く、そして美しく。少しでも、大学衛星のお姉さま方に近づけるように。
 だから振り返って相手の顔を真っ直ぐとらえたら、まずは何をおいても笑顔で挨拶を――。
 しかし残念ながら、あかりの口から挨拶の言葉が発せられることはなかった。
「――」
 その声の主を認識したとたん絶句してしまったから。
「えっと……。用があるのは私……で良いんだよね?」
 どうにか自力で半生解凍し、あかりは半信半疑で尋ねてみた。
「呼び止めたのは私で、その相手はあなた。間違いないわ」
 間違いない、と言われても。いいえお間違いのようですよ、と答えて逃げ出してしまいたい心境だった。そんなことを知る由もないその人は、うっすらと微笑を浮かべ、真っ直ぐあかりに向かって近づいてきた。
 腰まで伸ばしたブロンドのストレートヘアは、シャンプーのメーカーを教えて欲しいほどつやつやで。この長さをキープし、なおかつ毎日炎天下を走り回っていながら、もしや枝毛の一本もないのではないかと思われた。
「持って」
 彼女は、手にしたスポーツバッグをあかりに差し出す。訳もわからず受け取ると、からになった両手をあかりの首の後ろに回した。
(きゃー!!)
 何が起こったのか一瞬わからず、あかりは目を閉じて固く首をすくめた。
タイが、曲がっているわよ」
「えっ?」
 目を開けると、そこには依然として美しいお顔があった。なんと彼女は、あかりのタイを直していたのだ。
「身だしなみは、きちんとなさい。それでなくてもあなたは『御堂巴の娘』ってことで、目立ってるんだから」
 そう言って、その人はあかりからバッグを取り戻すと、「じゃあね」を残して先に訓練校のグラウンドに向かっていった。
(あれは……あの姿は……)
 間違いない。
 ジェシー・ガートランド。南極訓練校のトップで、将来の宇宙撫子の声も高い。通称は『トップガン』。
 ああ、お名前を口にすることさえもったいない。私のような者の口で、その名を語ってしまってもいいのでしょうか、――そんな気持ちになってしまう、全訓練生のあこがれの的。実際、訓練校の女生徒からラブレターをもらうことも多いらしい。
(そんな……)
 恥ずかしさに沸騰寸前である。
(こんなのって、ないよ)
 あかりはしばらく呆然と立ちつくしていた。
 あこがれのトップアスリートと、初めて言葉をかわしたというのに。こんな恥ずかしいエピソードなんて、ひどすぎる。
 これから向かうグラウンドを見つめながら、あかりは呆然と立ち尽くしていた。


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